「自由気まま冒険談義」
高田氏のテキトーそうで、実は深い冒険への心得を紹介します。
青春時代を過ごした調布が
どんどん面白くなっている
−−高田さんは調布出身ですが、調布の街に対する印象・イメージを教えてください。
高田:調布は、なんといっても都心から近い(笑)! 新宿から特急で20分でしょ?あと、こんなに発展するとは思わなかったね。僕が住んでいた当時は何もなかったのに。僕の記憶の中にある調布駅は地上に駅舎があったんだけど、地下に入っちゃったし。変わったなと思うよね。
−−調布に住んでいたときの思い出などはありますか?
高田:国領の実家に住んでいたのは、20歳過ぎまでかな。日活調布撮影所や角川大映スタジオが近いから、調布に行けば映画俳優に会えると思っていたけど、ほとんど見たことはなくて、その人たちは銀座に遊びに行っちゃってたんだろうね(笑)。中学生の頃に友達と、日活の撮影所に俳優の赤木圭一郎さんを見に行こうとしたけど、入り口で追い返されたこともあるな。
31歳から34歳までは、神代団地に家族と住んでいて、その時はとても楽しかった。僕は劇団員だったから、毎朝、ちょっと汚い格好で出かけてたんだけど、妻は、ご近所さんから「ご主人何やられてる人?」って聞かれて「公務員です」ってテキトーなことを言っていたみたいですよ(笑)。
−−高田さんが出演されている番組でも何回か調布にいらしてますね。
高田:トリエの1階にあるSEIJO ISHII スタイル デリ&カフェでローストビーフ丼を食べたことがあるけど、成城石井があると、一気におしゃれな感じになるよね。そういえば、調布PARCOのオープン日にもイベントで司会をやったな。Mr.マリックさんが大きな風船から出てきたりして。もう30年以上前か。当時は「パルコが調布にできる!」って大騒ぎだったよ。
−−調布のお気に入りのスポットや好きな場所はありますか?
高田:僕の同級生が深大寺で蕎麦屋をやっていて、テレビ番組でお邪魔したし、調布の駅前の踏切にすごくおいしいラーメン店があって、何回か行ったけど、そこは潰れちゃったな。昭和の匂いがどんどん消えていくのはちょっと寂しいね。
−−どんどん様変わりしていく調布に対し、期待していることなどを教えてください。
高田:どう発展させていくかが大事なんだろうけど、「映画のまち」もその一つだよね。駅前にある深大寺の映画撮影風景を描いた大きな壁面画も素敵だよね。映画は一時期テレビに押されて衰退したけれど、また徐々に活気を取り戻してきている感じがする。これからどんどんおもしろくなっていくんじゃないかなと思うし、楽しみだね。
人生の最大の冒険のきっかけは
「面白い」と思ったから
−−「冒険」という言葉からどんなことを連想しますか?
高田:船に乗って外国に行くことかな。昔から冒険に関する本はいろいろ読んでいるけど、やっぱり日本を出るというイメージ。現実から離れる感じだね。外国に暮らしながら仕事をするのが僕にとっての冒険かな。僕があと20歳若かったら、外国で働いてみたかったな。
−−船旅をしたことはありますか?
高田:船旅はないけど、20歳のときにバイクで1ヶ月近く旅をしたことはあって。失恋してね、その女性が北海道に行くと言っていて、免許を取って、バイクを買って、北海道に行ったな。
当時デザイン学校に通っていたので、いろいろな寺を巡り、写真を撮って発表するという名目だったけど、内心ではその女性に会えたらいいなって(笑)。
−−それは冒険ですね!女性には会えましたか?
高田:会えない会えない!連絡先も知らないし、考えてみれば北海道って広いもんね(笑)。そこから本州に戻って九州を目指そうと思ったけど、大阪でバイクにガタがきちゃって、東京に戻ったよ。人が大きな冒険に出るときっていうのは、大きな失恋とか、人生のターニングポイントで背中を押されるというのはあるよね。
−−高田さんは変化が激しい芸能界をまさに冒険するように活躍されていますが、ご自身は「冒険」をしてきたタイプだと思いますか?
高田:意外と冒険しないタイプだからな〜。ただ、大学受験に失敗したことが、今の仕事につながる冒険の始まりだったのかもしれないね。大学に合格していたら、父親と同じ一般企業で働いていたんじゃないかな。
−−人生で一番大きな冒険というとなんでしょうか?
高田:29歳のときに、居酒屋で偶然再会した柄本明に誘われて、4年勤めていた会社を辞めて劇団東京乾電池に入ったことかな。子供が1歳になった頃で、食べていけるかどうかもわからないのに。
−−よく決断できましたね。
高田:彼らの芝居を見たら、すっごい面白くて。それで「やりたい」って思っちゃった。健康で、ある程度貯金があったから冒険できたと思う。貯金は1年で尽きたけど、健康だったからアルバイトで食いつないで、なんとかなったし。33歳で「笑ってる場合ですよ!」(フジテレビ系)、38歳で「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(日本テレビ系)に出るようになっても、しばらくは経済的には厳しくてね。同世代の会社員と同じくらい稼げるようになったのは42歳かな。
当時のテレビ局のADがどんどん出世してね。芸能界は、そういう段階的な変化もないし、手本になる師匠もいない。「面白いことをやろう」っていう気持ちだけで、なんとなくここまできちゃったよね。
−−最後に「冒険」するにあたって高田さんが考える大切なことはなんですか?
高田:この前、ロケ先で出会った女性が大学を中退して、ドイツに行くって聞いたり、会社を退職し、大学に入り直して医者になった女性もいて驚いたよね。2人とも「信念」があるから冒険ができるんだろうね。あとは「技術」も冒険の拠り所になると思うかな。闇雲にではなく、なにか実力が備わった状態で向かうのがいいのかもね。自分がやりたいことと、自分ができることがかけ合わさると「冒険」に踏み出せるのかもしれない。それから「健康」も同じくらい大切。いつかくる冒険のためにも、健康維持はしておかないと。僕はもう77歳なんでね、ここからまた違う仕事で冒険するっていうのは難しいけど、マジックだけは練習してるよ(笑)。
トリコレ編集部員から質問!
年齢を重ねるうえでの
こだわりとは
−−今年、喜寿を迎えられましたが、年齢を重ねるうえで大切にしていることはありますか?
高田:朝、ちゃんと起きることかな。昔は平均寿命が短くて、徳川家康でさえ75歳でしょ。家康を超えてからの人生は、プラスアルファで考えていて、とりあえずは、朝目が覚めないとどうしようもないもんね(笑)。あと、これからも白髪染めはしたくないかな。
−−説教話、自慢話、昔話はしないようにしていると伺いました。そう思うに至った経緯やエピソードがあったら教えてください。
高田:自分がされるのが好きじゃなくて。自慢話は面白くないし、昔話は伝わらない。あと、褒めると伸びる人がほとんどだよね。けなされて伸びた人はほとんどいない。だから説教はしないかな。軽い指示はもちろんするけどね。年を重ねるとどうしても若い人に口を出したくなるけど、「冒険」も人それぞれだから、どんな言葉をかけたら正解かわからないじゃない。そうなるとエロ話と失敗談しか話すことがないんだけどね(笑)。
俳優・タレント
高田 純次氏